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●切削工具の歴史
 陶器を作るとき「ろくろ」を使います。人類が、最初に回転する道具を考えだしたのは、この「ろくろ」だと言われています。工作機械の代表的な旋盤は、この原理とよくにていて、加工物を回転させながら、これに刃物をあてがい円筒に削りだします。旋盤やボール盤のように、回転を主運動として物を加工するというアイデアは、このように紀元前から芽生えていました。工作機械としての進歩は産業革命時代に入るまであまり大きな変化はありませんでした。

 1769年にジェームス・ワットは蒸気機関を発明しましたが、その心臓部であるシリンダ内径とピストンの外径とを正確な寸法で加工することが当時の加工技術では不十分で、5年ほどほこりをかぶっていました。

 1775年にジョン・ウィルキンソンの横中ぐり盤の完成により、ワットの蒸気機関は陽の目を見ることになりますが、その精度は内径50インチで硬貨の厚さの誤差があり、現在の基準から見れば大きいものでした。しかし、ワットの蒸気機関が工場、運輸動力一新のもとになり、その後の産業技術の変革をもたらした影響を考えると、加工技術の重要性を考えないわけにはいきません。

 その後の急速な技術進歩により、現在使われている基本的な工作機械のほぼ全種類の原型は、1850年ごろまでに出そろいました。

 一方、切削工具材料は、19世紀までは炭素工具鋼や合金工具鋼が使用されていて、切削速度は10m/min程度にすぎませんでしたが、1900年に高速度工具鋼の発明、1926年にはドイツで超硬合金が出現したことにより、機械加工に革新的な変化がもたらしました。

 新しい工具材料の出現は、そのたびに工作機械の設計に大きな影響を与えてきました。テーラとホワイトによって発明された高速度鋼は、1900年のパリ博覧会に出品され、会場の実演で旋盤から出る切りくずが青色で、工具の刃先が赤くなっているのを見て観客は驚きました。
 展示後、ドイツの工作機械メーカーが、自社製の旋盤とボール盤を用いて、この工具の最高能力を出せるような条件化での試験を行った結果、両方の機械とも1ヶ月のうちにスクラップ同然になってしまいました。高速度鋼の能力が、当時の全ての工作機械を一気に旧式なものにしてしまったのです。

 1900年初頭は、新しい産業の自動車工業が、新しい工作機械と工作方法を求めていて、この要求に応じて工作機械と工具は改良が重ねられていきます。

 1926年にKrupp社は、超硬合金を工具として工業化し、1928年のライプチヒ博覧会において実演を行いました。このときの衝撃は、1900年の高速度鋼に匹敵するものでした。そしてこの超硬工具は、工作機械設計者に難しい問題を投げかけました。それは、使用する工作機械は、主軸回転数が高く、剛性をもたせて、振動やびびりが起こらないことが必要条件だからです。
 このためには、高速度鋼を使用する工作機械に比べ、3〜4倍の馬力がひつようで、剛性を確保するために、重量は75%も重くなりました。
 1940年頃までには、超硬工具を効果的に使用するための十分な馬力をもち、剛性も高い工作機械が作られるようになりました。
 超硬合金は、硬度は高いが引張強度は低いためと、コストが高いとの理由から、鋼製のシャンクに小さな超硬チップをろう付した形の、ろう付工具で生産されました。
 1960年までは、高速度鋼工具から超硬工具に切り替わっていく時代で、超硬工具の多様性が進みました。また、超硬合金の能力を引き出すための、工具形状、切削条件、切削方法などの研究や使用技術の普及が活発に行われました。
 現在は、超硬合金、サーメット、セラミックス、コーティング、超高圧焼結体など工具材料の開発と工作機械の発展による切削の高速化、多様化による非切削時間の短縮、これらの機械と工具を多数必要とする自動車産業等の発展など、相互に影響を及ぼしながら加工技術は発展してきました。
 切削加工は今後さらに高能率化、高精度化をめざして発展していくでしょう。

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